知らないふりはもうやめよう

昨日も小さな命が父の手で絶ってしまわれた。もう胸が痛い‥‥
この記事は日経新聞からです。
コロナの中で外出が制限されて息苦しさを感じているのはシニアも同じ
外出を控え
運動教室も休み
外食も友達ともおしゃべりしていない
ただ一つのつながりは
携帯メール・ラインだけ
それでも
シニアは静かにしていられる
でも子育て中のママはシニアとは違った悩み
私も子育ての時うつとまでは言わないが
もう世の中から忘れ去られているような
そんな孤独を感じたことがありました。
特に初めての子の時は育児書通りにはいかない
「何で泣くの」「なんでいやいやなの」「なんで、なんで」
「こっちがなんでだよ!」と怒りをぶつけていたこともありました。
幸い社宅にいたことと隣の先輩お母さんに助けてもらったことが
私の大きな救いでした。
そして縁があり子供がいても参加できる
家庭婦人が集まる会に参加して
衣食住生活全般の勉強が始まりました。
この時代まだ母と子が離れていられる空間は
ここしかなかった
が正直なところですが
集まりの中私の手元から離れて
一人皆の輪の中にいると
一人の人間として名前を呼ばれる
嬉しさがありました
「ほんの少しの時間でいいから
ママではなく
一人の私で居たい
そう思うこともよくないの?」と心の中で泣いていたようにも
記憶しています。
子供と一緒ではなく「離れたい、ほんの少しの時間‥‥」
今のママたちもきっと同じじゃないだろうか?
どこどこの集まり・・・「親子で」
そこに行くために出かける準備をして
大きな荷物を持って・・・
集まりに行くと同じような年の子がいて
いつの間にか
自分の子と比較
出来ない、出来ない、何故うちの子は・・・と落ち込む
乳児の時はママ友が欲しくなります
遊べるようになると同じ年の子の友達が欲しくなります
そうさみしいのです
弱音をはく仲間が欲しいのです
天気のいい日はいいのですが
雨なんかが続くとどうしようもなくうすら悲しくなります
私は自然と求めていたかもしれない
子供のためのママともだけではなく
アドバスをしてくれる先輩ママも
そして
母のような存在の人をも
求めていたから
私の前に現れてくれる
そこを逃さなかったのが良かったと思います
自分の子育てが終わるとなかなか
若い人との接点が無くなります
いままで運動の仕事はシニアの参加が多かったので
私も含めシニアの悩みや弱さそして素晴らしい知識や
やる気を身近で見てきました
新聞記事を読みながら
子育て支援が充実しているように思っていましたが
まだまだ手が届かない場所、人が沢山いるのだと
認識をしました
今回オーソモレキュラーアカデミーで
子ども分子栄養学アドバイザーを指導する
指導アドバイザーの資格を頂きました
今情報過多時代
知識と実際がかみ合っていないように思います
知識はすごくあってもわからないことはグーグル先生に聞いても
それをどう生活に活かしてゆくのか
実行が大事です
それを助ける私でいたい
特に「食は命そのもの」
正しい食生活はその子供にとって一生の
宝物 財産になります
食べることは生活そのもの
よい生活習慣をみにつけるのは早いほうがいい
まわりに子供がいない
などと言い訳はもうしない
おせっかいおばさん
いやいや
おせっかいおばあさんになります
だから 知らないふりはもうやめよう
わたしの好きな言葉
この言葉を意識して子育てしていたように思います
子どもが小さいうちは 手をかける
小学生になったら 声をかける
中高校生になったら 目をかける
大学生社会人になったら 気をかける